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日澤悠さん
(ふわふわイーレ)

【働き方】介護福祉士 常勤 週休2日

ハビリスデザインへの就職はいつから?きっかけは?

ハビリスデザインで働き始めたのは、6年前くらいです。最初の3~4年は放課後等デイサービス「はびりす」のスタッフとして、その後、人事異動があり、2019年3月からは「ふわふわイーレ」で働いています。

ハビリスデザインに入職したきっかけは、「はびりす」の立ち上げの際に、社長がFacebookでスタッフ募集の案内を出していて、ちょうど「そろそろ福祉業界が恋しくなってきて戻りたいな」と思っていた頃だったんです。そのときに社長にお話を伺い「あ、やってみようかな」と思い、応募したのがきっかけでした。

最初の福祉との出会いは?

結構さかのぼるのですが、中学3年のときの進路選択で、看護と介護と迷い、理念を比べたときに福祉の精神のほうが自分に近いなと思い、高等専修学校で3年間福祉の勉強をしたんです。

高校3年で介護福祉士試験を受けて合格をし、ただ、人生が福祉だけになってしまうのも嫌で、そこですぐに福祉系に就職せず、いろいろな業界を見てきました

30歳のときに「やっぱり福祉の世界っていいよね」と思い、転職活動をし始めたんです。そこで33歳くらいのときかな、さっきお伝えしたように、社長が放課後等デイサービスを立ち上げるということで、ご縁があればと思い、お話を伺いに行った感じです。

中学の時に進路を決めるって、よく早いねと言われるんですけど、私としては、手に職をつけたいって思ったのと、国家資格があれば選択肢が広がるのではないかって思ったんですよね。高校のときの勉強は興味がある内容だったので、どんどん吸収していった感じでしたね。楽しかったです。

その後はどんなお仕事を?

高等専修学校から99%は就職をするのですが、私はそうではなく、1%のほうで(笑)、進学を選びました。

カイロプラクティックとか東洋医学とかスポーツトレーナーの資格がとれる専門学校へ進学し2年間勉強し、そこで認定資格をとりました。私の大切にしていることとしては「ドラッグレス」ですね。薬に頼らず健康になっていくという考えを魅力に思い、勉強してきた感じです。ただ、その後、また、全く違う進路に進むんです(笑)

そこからは、サービス業とか小売業とかをやっていましたね。あと医療系、物流系などもいろいろやりました。2年おきくらいに別の場所で働くというパターンが多く、私の場合、常にダブルワーク、トリプルワークが多かったです。いろいろなことを同時にやるのが好きなタイプなんだと思います(笑)欲張りなのかも知れません(笑)やりたいことをたくさんやってきました。

そして、福祉へ。その心を教えてください!

もともと介護福祉士の国家資格を取っていたので、それをいつかは活かしたいと思っていました。いつかは福祉に戻りたいというビジョンを描いていたんです。

小売業をやっていたときも、私なりのホスピタリティというものを大切にして、全力でやってきたのですが、ちょっと物足りないなと思ってしまったんです。あとは、介護とか福祉の世界もルールがだんだんと変わってきて、そろそろ戻らないと分からなくなるという焦りもあり、タイミングが来たって感じです。

転職活動を始めてからは求人を見て、いいなと思っても求人がなくなってしまうことがあり、タイミングが合わなかったんですよね。そうこうしているうちに、社長のFacebookに求人が上がってきたって感じです

社長とは実は中学の同級生で、当時は仲の良い同じグループにいましたし、高校生くらいまでは一緒に遊んだりしましたが…もう今は同級生というよりも「社長」って感じですね(笑)

いろいろとタイミングが合っていて、当時、高齢福祉や障がい福祉かどうしようかなと迷っていたんです。ちょうど求人を見た頃、「実習で行った障がいのある方の施設も良かったな。福祉でも障がい関係に進みたいかな」と思っていた矢先…という感じでした。なので、タイミングが合うときは本当に合うのだなと実感します

最初に働きだした、放課後等デイサービス「はびりす」は、本当に楽しくて、子どもと関わり、遊ぶ!という…楽しい部分をメインに働いてきた感じです。

「ふわふわイーレ」でのお仕事は?楽しさは?

「はびりす」で3~4年働いてから、人事異動で「ふわふわイーレ」でした。仕事内容がやはり違うので、最初はドキドキでした。一人ひとり全然違うし、お家という閉鎖空間ですし、その方の生活により近くなるのでドキドキしました。異動してからは、支援の仕方など先輩に見せてもらって、利用者さんにも協力していただいて、勉強してきた感じです。学校で習うことはワンパターンで、その方に合わせた支援ではないので、日々の中で体を使って学ぶという感じで、毎日全力で向き合い、帰宅するとぐったりって感じでした(笑)

当時を振り返ると、本当に不安もありましたが、今となっては懐かしい感じですね。何をやるにしても、不安があったけど、先輩たちにすぐに相談できる環境があったので、楽しくできた感じです

仕事内容としての楽しさとしては、利用者さんの意外なところを発見できるときですね。ご家族も知らないことを発見したりするときかな…と思います。こんなことできるんですよ!と、利用者さんの新たな可能性やできていたことを見つけられたときも嬉しいですね。きっとそれは、コミュニケーションをたくさん取れたからこそ分かることもあると思いますし、関係ができてきたからこそなのかなと。だんだんとそういうことも分かってきて、今はすごく楽しいです。

心掛けていることや難しさは?

常に笑顔でいるようにしています。不安にさせないようにと心掛けていて、常に笑顔でいますね。不安に思うことがあっても絶対に顔には出さないです。表情って伝わっちゃうんですよね。あとはご本人らしく生活できるようにお手伝いしたいので、ご本人の気持ちを一番大事にしています

難しさはそんなに感じたことがないのですが、言葉が不明瞭な方は、その話し方に耳が慣れるまで時間が必要なことがあります。ただ、これは時間が解決してくれますね。そうですね…私の関わっている利用者さんは懐の広い方が多いので、むしろ助けていただいていたり…難しいことはほとんどないですね。分からないことがあっても、長く付き合っていくことで解決することもあります。

部署を異動するってどんな気持ちでしたか?

最初は正直ショックでした(笑)

ただ、新しいことは嫌いではないので、やってみようかなという気持ちが大きかったです。社長には、合わなかったら3日でやめますと宣言し(笑)、異動したのですが、先輩たちが本当にいい方ばかりで何でも話せたのでやってくることができたし、何より「ふわふわイーレ」の仕事の楽しみを知った感じでした。

職場の雰囲気もとても働きやすいです。私らしくいられて、飾らなくていいのが、とてもいいところです。理事長や社長、管理者や責任者の方々が作ってくれている会社の雰囲気のおかげだと思います。話しやすい環境をつくってくれて、私、実はおっちょこちょいなんですけど、職場の皆さんも利用者さんも、みんなが笑って許してくれている感じです(笑)

仕事を点々としてきましたが、今の気持ちとしては、ずっとここで福祉でやっていきたいって思いますね。今の利用者さんやこれから出会う利用者さんと、長い付き合いをしていきたいですし、ともに年を重ねるというのをやっていきたいなと思っています。なので、しばらく福祉業界というか、ここにいたいなと思います。

最後に教えてください!
あなたの「My Smile」は何ですか?

「スキューバダイビング」です。もう10年くらいになりますね。もともと水は苦手で、それに加えて、3.11の東日本大震災のときの津波のイメージもあり海は怖いって思ったんです。ただ、あの地震のあと、海の中は1ヶ月で再生し始めて、地上は全然変わっていないのに…そのとき海の中はどうなっているの?」って思ったんですよね。それが海に惹かれた最初のきっかけです。水が苦手なので、紆余曲折がありましたが、それでも良い先生に恵まれて今まで続けてこれました。5年目くらいのときに、インストラクターの資格も取りました(笑)

海は、すべてを持っていってくれるんです。不安なこととか悩みとか私たちの生活の中にあるモヤモヤとしたものを全部吸いとってくれるので、海からあがってくると、もう元気しかないです。あとは、それに関わってくる人たちも好きですね。船長、そこでできた友人、先生…全部が私の元気の源ですね。

1ヶ月に1泊2日で、タンク4本消費していましたね。1日2本、年間50本くらい潜っていたので、悪くないペースでした。パパラギダイビングスクール藤沢店を利用することが多く、ホームは東伊豆の富戸(ふと)という場所です。そこで、リゾートに行くなど楽しんでいます。富戸の良さは、地形も分かるし、1番ホッとする海ですね

私にとって「ハビリスデザイン」は

『自分らしく働ける会社』